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遠い記憶の鉄道風景
by pakira0422

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筑肥線跡探索 鳥飼~姪浜
筑肥線廃線ウォーキング?第2弾。鳥飼~姪浜間の探索に行って来ました。例によって長いです、はい(´ヮ`;

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  • S.56空中写真(鳥飼~西新)
  • S.56空中写真(西新~姪浜)


    城西中学前の交差点から、鳥飼駅西側踏切跡を臨みます。新しい幅の広い道が完成し、202号のバス通りまでは背の低い建物ばかりだったあの頃の面影は全くなくなってしまいました。わたしが利用していた頃は別府2丁目のバス停から一旦この踏切まで迂回して駅に行かねばならず、あの枕木の柵を超えてホームに直接入られたらどんなに楽だろうと思ったものです(笑。


    かつての鳥飼駅西側踏切(筑肥線の(今)昔 写真集より)



    七隈川橋梁跡と、そこから見た荒江団地の眺め。何てことはない小さな橋ですが、わたしにとっては思い出深い場所です。ここはわたしが通っていた小学校区の隅っこで、また向かいにある小児科医院には何度もお世話になりました。当時この細い道は砂利道で舗装されていませんでした、当然踏み切りには「とまれみよ」の札があるだけの第四種でした、すぐ近くに警報機のある踏切があったので列車が来るのは分かりましたけど。小さな橋なので、何度か度胸試し?で渡ったことも(まねしちゃイケマセン!

    そんな場所なので、列車に乗っているときは車窓からこの場所を確認しようといつも頑張って見ていたのですが、結構一瞬なんですよね(´ヮ`;


    この踏切から西新駅側はほぼ水平区間で一直線でしたので、陽炎の向こうに西新駅ホームの三角屋根がうっすらと、でもはっきりと見えていたのがとても印象に残っています。ホームに列車が止まっている姿を見たいと何度も思ったのですが、その機会はありませんでした。逆に鳥飼駅側は橋を渡るとすぐにゆるいカーブ(R1000)があり、今も昔も見通しが利きません。


    早良街道(国道263号)踏切跡。昔はこの近くに消防署があったのですが、こちらも全く面影はありません。


    筑肥新道の歩道にはこんなものが。


    西新駅舎跡地。ちょうどこの駐車場からコンビニにかけてのあたりが駅舎からホーム跡です。目の前のアパートなつかしい!!ここは鳥飼駅と違い、構内以外はほぼ昔のままの姿が残っています。




    列車交換待ちをしている車内からは、これらの建物が良く見えていました。ほんと懐かしいな~、まんま変わっていません。写真では写っていませんが、オレンジ色のベランダの団地(塗り替えられてました)、その前の裏庭等、当時のままです。ただ駅だけがなくなってしまいました。


    かつての西新駅(筑肥線の(今)昔 写真集より)

    それにしてもこの駅名、現在の西新の街とは全然違う場所(昭代)です(´ヮ`; でも高取にも西新荘という古い旅館がありますし、昔はこっちが西新だったのかな?


    駅を出ると汐入川沿いを走り、


    旧早良街道の踏切跡を渡ります。2車線だった道はつい最近拡張工事で大きな通りになりました。右に見えているマンションは当時からありました。幼い頃、展示会を見に行った記憶があります。


    油山川を渡り、


    川に挟まれた室見小学校が見えます。ここは昔、両側を川、南側を線路に挟まれており、橋を渡らないと中に入れないすごい小学校でした(´ヮ`;今は筑肥新道側に小さな門が出来ています。


    すぐに原団地脇の金屑川を渡ります。隣に古い橋がありました、今となっては何とも冗長。


    川を渡り終えるとカーブも終わり、姪浜に向かって真っ直ぐ道が伸びています。ここあたりから線路は室見川を渡るために築堤となっていましたが、小笹付近同様、道を作るにあたって崩されてしまいました。



    室見川筑肥橋。立派な動輪のモニュメントが備え付けられています。景色は変わってしまっても、昔線路だった記憶を残そうとしている姿勢に好感が持てます(´ヮ` 橋梁の思い出については前回記事を参照してください。


    北側の眺め。冬になるとここらへんに踊り食いで有名な白魚漁の仕掛けが並んでいました。今もやってるのかなあ?


    南側の眺め。室見団地の巨大な2棟が目立っています。この景色は昔から変わらないです。夜になるとたくさんの明かりが川面に反射して、そんな姿が記憶に残っています。


    かつての室見川橋梁(筑肥線の(今)昔 写真集より)


    橋を渡り終えるとまっすぐ姪浜を目指します。都市高速の大きなガードが渡っており、昔とはすっかり雰囲気が変わってしまいました。


    筑肥新道はここまでで、そのまま旧道につながっています。線路はもう少しまっすぐ進み(写真中央)その先でカーブしていました。


    地下鉄が地上に出て来ました。ここで現代の線路と合流!


    姪浜駅到着。昔の駅は北側にしかありませんでしたが、現在は南側も開けています。おつかれさまでした!

    Tags:筑肥線 
  • # by pakira0422 | 2009-05-31 22:11 | 旅と写真 | Comments(2)
    思い出の筑肥線5 車窓からの景色
    非電化当時、唐津と福岡を結ぶバイパスはまだ無くマイカーも今ほど普及しておらず、また1時間1本のダイヤだったため筑肥線の混雑ぶりは現在とは比べ物にならないものでした。今でこそ唐津行きは筑前前原を過ぎると結構座れるようになりますが、当時の盆正月など最後まで座れないなんてことはざらでした。子供の頃駄々をこねてると親切な方に席を譲ってもらったり、などは良い思い出です。ロングシートですので、そんなときは当然窓に張り付いて外の景色を眺めていました(笑。

    室見川橋梁は長さ100m以上あるデッキガーター橋で、渡るときの眺めは最高にスリリングでした。コンクリート橋と違い、窓から眺めるとたまに待避所が見える以外は水面以外何も見えずまるで空中に浮いているようでした。また渡るときの「ガタンガタタタン」という独特のジョイント音の響きも印象的でした。冬には白魚漁の梁と料理を食べさせてくれる小屋が見えていましたが、今もあるのかなあ。


    かつての室見川橋梁(筑肥線の(今)昔 写真集より)

    筑前前原駅の西側踏切は、昔は踏切警手さんの居るワイヤー式踏切だったと思います。遮断機ではなく手動でワイヤーを巻き上げるタイプ、いつの間にかすっかり見なくなってしまいましたね。白旗を揚げて列車通過を見守る警手さんも思い出の景色となってしまいました。

    筑前深江以西の海岸沿いは、良い意味で昔とまったく変わらない車窓を見せてくれて落ち着く場所です。電車となった今でもガタピシ煩い音をたててくれます(´ヮ`; でも電化に伴いトンネルは何本か掘りなおされていて、線形が変わっている場所もいくつかあったと思います。鹿家浜崎間の2本の長いトンネルは、昔は1段下を通っており、旧線はもっと急カーブでトンネルも短かかったです。そういえば下山門~今宿の長垂旧線は複線化で見事復活しましたね、これで変だったキロ程が元に戻っているようです。

    座れないときはいつも連結部辺りにいた気がします。気動車は全ての車両に運転台がありますので、使われていない運転台を覗いて速度計やら(当時は意味不明に動いていた)圧力計の赤黒2本の針を眺めていました。直線区間では80km/hくらい出てたような?また、緩急ブレーキのハンドルやら補助シートなんかもあって、ここにちょこんと座っていた記憶も残っています。

    Tags:筑肥線 
    # by pakira0422 | 2009-05-30 09:54 | 雑談 | Comments(2)
    筑肥線跡探索 博多~鳥飼
    以前から気にはなっていた旧筑肥線跡を辿る廃線ウォーキング?を敢行してみました。築堤のみが残っていた時代はなんだか寂しくて好きじゃなかったのですが、筑肥新道が整備されてすっかり痕跡はなくなり明るくなってしまいました。

    すごく長いです、スミマセン(´ヮ`;
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  • S.56空中写真(博多~筑前高宮)
  • S.56空中写真(小笹~鳥飼)


    かつての筑肥線は博多駅地上1,2番線から出ていました。まっすぐ南下した百年橋通りオーバークロス上から。左側築堤上は鹿児島本線です。下段の線路をまっすぐ進むと博多運転区(旧竹下気動車区)、右に折れて緑が続いているのが旧筑肥線方面です。


    筑前蓑島駅跡までは緑道公園として整備されています。お散歩にぴったり。



    ホームの一部が移設され、駅名板の碑がかつてここが駅であったことをひっそりと語っています。(中村様情報:このホームは高すぎるため後ほど作られたものではないかとのことです。そう言われれば、気動車時代のホームは子供でも簡単に飛び降りれる程低いものでした)


    パナソニック横で国道385号をアンダークロス。2本の煤煙跡です!気動車が走っていた形跡がはっきり残っていました(´ヮ`


    陸橋下から公園を臨みます。


    実際の蓑島駅舎(と言ってもホーム上の小さな事務所)はここらへん左側にありました、寂しい感じ。


    かつての筑前蓑島駅(筑肥線の(今)昔 写真集より)



    蓑島駅を出るとすぐに那珂川を渡ります。那珂川筑肥橋と命名されていました。桶井川・室見川もこのパターンで、どの橋もかつて列車が走っていたことを懐かしむ造形となっています。欄干が汽車と線路ですね(´ヮ`


    日赤通り踏切跡。こんな大通りをいくつも塞いでいたから、厄介者扱いされちゃったんでしょう・・・。車少ないタイミングで写してますが、朝夕は大渋滞です!



    筑前高宮駅舎はここにあったようです、この道の真ん中。駅前広場はそのまま道となり、向こう側と繋がってしまいました。付近はマンションだらけとなってますが、この右側の赤いビルだけは当時からあったようです。


    かつての筑前高宮駅(筑肥線の(今)昔 写真集より)



    西鉄(天神)大牟田線をアンダークロス。高宮駅は西鉄平尾駅との乗り換え駅でした。おんぼろディーゼルカーの上を、当時から冷房付き西鉄電車が数分間隔で走っていました。煤煙跡は見つかりませんでした;(中村様情報:クロス部分は元は鉄橋でしたが、ホーム延長工事で現在のコンクリになってしまったそうです)


    高宮通り踏切跡。


    ここあたりから小笹駅に向けて10‰勾配が始まっていました。現在の筑肥新道も坂を上っていますが、築堤を崩して・切り通しを埋めて周辺の道と繋げているので、なだらかだった線路と比べ起伏がとても激くなっているようです。



    山荘通り踏切跡。この自動車整備工場、なかなかローカルな味を出していて当時からあった雰囲気です。


    旧線路脇の平尾大池。公園として整備されていました。都会の中にひっそりとたたずむ緑の空間です。


    森の横を抜けるともうすぐ小笹駅です。切り通しは無くなっていますが反対側の斜面は当時のままのようです。


    駅直前、線路がオーバークロスしていた場所です。築堤は削られ橋はなくなってしまいました。


    そして小笹駅舎跡(の真下)からサニー(旧ユニード)の看板を見渡します。駅舎は階段を登った築堤上にあったようです。勾配表によると、水平区間は急カーブ中にある駅部分のみでサミットになっており、前後を平均10‰で挟まれていました。


    かつての小笹駅(筑肥線の(今)昔 写真集より)


    筑肥新道はかつての線路の10倍は急そうな坂を下ります(´ヮ`;(この付近は切り通しだったようです)



    下り終えると旧線路は急カーブで右に曲がり、筑肥新道と別れて梅光園緑道となります。ここからは約1kmに渡って公園として整備されていました、良い雰囲気の散歩・ジョギングコースになっています。


    鉄道境界杭が!


    廃棄された枕木が!!
    (情報源はこちら)


    NTT電波塔の眺めは今も昔も変わりません。


    梅光園団地横の踏切跡。タバコ屋さんがちょこんとあるとこが、いかにもかつて線路脇だった感じですよね。この踏切、小学校時代の遠足で南公園(動物園)に行くときに通った記憶があります。梅光園団地は最近建てかえられ、すっかり昔の面影はなくなってしまいました。


    マンションに囲まれながら左に急カーブ。


    油山観光道路を渡り、更に急カーブ。緑道が終わり、筑肥新道が復活します。



    カーブを抜けると桶井川筑肥橋を渡ります。ここの欄干はSLの動輪の形ですね(´ヮ`



    そして国道202 別府橋の陸橋をアンダークロスすると、すぐに鳥飼駅です。線路が斜めに渡っていたので判りにくいですが、ここにも煤煙跡がありました!(真ん中の黒い部分、その前後です)


    この陸橋周辺の道路はカオスな構造になっていますが、今となっては理由を知る人も少ないでしょう。以前の線路周辺は枕木の柵を超えると狭い路地に文化アパートが並んでいましたが、再開発でマンションが林立し当時の景色を残しているのは陸橋とその向こうにぽつんと見える赤いビル(安藤病院)だけです。


    かつての鳥飼駅(筑肥線の(今)昔 写真集より)


    わたしのホームグラウンド、鳥飼駅前広場です!駅舎跡真上には城南区役所・水道局合同庁舎が建っており、なんにも痕跡はありません(TヮT


    と思ったらありました!駅前の交差点です。手前のうどん屋と、向こうの瓦屋根の建物。なつかしい!



    時代に取り残されたような雰囲気です・・・。鳥飼病院も建てかえられ、すっかりモダンな街並みになった中、ここだけ残っているのは奇跡ですよー。

    ここら辺でコンデジの電池が切れそうになりました。また次の機会に姪浜まで辿ってみます。

    Tags:筑肥線 
  • # by pakira0422 | 2009-05-25 23:20 | 旅と写真 | Comments(2)
    思い出の筑肥線4 時刻表を眺めて
    ひきつづきダイヤグラムの、ちょっとマニアックな話です。時刻表からは判りにくいですが、ダイヤグラムの形にすると列車の運用状況が見えてきます。と言っても気動車は電車と違って固定編成じゃないので、どこで併結・切り離しされているかは分かりません。また運用も筑肥線内に留まらず、同じ列車に毎日同じ編成が使われていたとも限りません。結局想像するしかないのですけど、でもそこが楽しいのかも知れませんね(´ヮ`


    門ヒカラ(東唐津)に所属する車両は、S.50年初頭までキハ17系列もありましたが、晩年は通勤地区に相応しくキハ35系列が36両、ロングシート改造車であるキハ26-600が5両、残りは荷物郵便車であるキハユニ26が2両だったようです。しかし過去の筑肥線の写真からはその他の形式もちらほら見かけます。


    急行平戸はキハ58系3両で構成され、これは門タケ(竹下)が使われていたようです。松浦線・佐世保線・大村線・長崎本線を経由する片道5時間以上の長旅、1日中走り回っていたんですね。ただこの編成は夜間は東唐津に居て、博多行き532D 6両で他のキハ35と一緒に博多に送り込まれて、折り返し急行平戸となって運用されていたそうです。

    また日中東唐津に留置されているキハ58系の写真もよく見かけますが、これは東唐津行き531D 7両中3両、その折り返し博多行き546D増結として利用されていたキハ58系のようです。筑肥線の中で貴重な冷房搭載車です(笑。おそらく門タケ車?


    また、朝の筑前前原発526D キハ58系7両には何とキロ(グリーン車)が1両繋がれていたようです。博多駅5番線に入りそのまますぐ急行由布1号となっていたようで、筑肥線朝ラッシュの波動運用だったのでしょう(日曜運休です)。グリーン料金は要らなかったのですが、他の車両と違ってガラガラだったとか(´ヮ`; グリーン車はこの1本しかなく、前日の運用で前原止まりの列車はないので回送で運んでいたのでしょうか・・・。

    同様に夕方から夜にかけて博多~前原・今宿間の往復を繰り返す545D・552D・555D・558Dは夕方ラッシュのための運用系統だったことがダイヤから良く判ります。朝は怒涛のごとく東唐津から列車が出ているのに対して、夕方の博多発ラッシュ対応は結構のんびりですね。博多駅の筑肥線1,2番線ホームからは、直接竹下気動車区に行ける線路がありましたので、博多発の列車はそこから出ていたものと思われます。

    その他、急行形以外では、佐世保・長崎方面からの運用で門サキ(長崎)や門ハイ(早岐)のキハ20, 40, 47,55もわずかながら入って来て、キハ35系編成の前後にくっついて運用されたりしていたようです。ただ、本来の門サキ・門ハイ車は、門ヒカラ・門タケ車とは違って貫通幌が博多側に付いており、連結は出来なかったので単独運用されていたとのことです。

    (中村様情報:S50年当時の559Dのスジは博多発加布里止まりだったのですが、その後要望で東唐津まで延伸されて回送で加布里に戻っていたようです。また当初博多~前原・今宿間の往復運用はなく前述の編成が午後の間長時間博多に留置されていたため、これも要望によりラッシュ時545D~558Dの運用に就いたそうです。いかにも国鉄らしい逸話ですね(´ヮ`; この編成には門ハイのキハ20が1両最後尾に連結され、キハ35系だらけの中ボックスシートで最後まで頑張っていたとのことです。このキハ20は翌日早朝523Dで加布里から伊万里に向かい、早岐に戻るという長旅をしていたそうです)


    そう言えば、キハ26-600もキハ35系列の前後にちょこんと1両だけくっついていることが多かったように思います。一般色から早々に首都圏色(タラコ)に変わってしまった35系と違い、比較的晩年まで急行色を保っていて、ホームに渡るときに見れる前面は(跨線橋なんてありませんでしたので本当に目の前です)オンボロながらかっこよく思えたものです(笑。一方キハユニは中間に繋がれてることも多かった気がします、これこそ端っこに繋いだ方が良さそうなのに・・・。使用していない時は通り抜けられたらしく、空いている車両を探して車内を渡り歩き、棚がたくさん並んでいて電球照明が照らすほの暗い独特の緑色の空間だったのを覚えています。


    旧筑肥線唯一の客車列車、早朝博多行き2530レと夕方帰りの2549レ、このスハ43系は門タケ(竹下)の車籍で、昼間は竹下に居たようです。7両中1両は半荷物車のオハニ61(晩年36)で、朝唐津・伊万里方面からやって来る行商のおばさん達で賑わっていたとのことです。それにしてもラッシュ対応が旧客とは(´ヮ`; 荷物車以外は青色車体で蛍光灯の室内灯の車両でしたが、晩年たまたま夜のホームの待ち合わせ見かけた編成はぶどう色と青のちぐはぐで、ぶどう色の車両はほんのり暖かい電球の室内灯で照らされており、とても珍しかったのが印象に残っています。
    牽引機はDE10で、こちらは「香」(香椎)でした。しかし何分子供の頃なのでDE10の存在を知らず、つい最近写真を見るまでDD51だと信じていました(笑。ダイヤグラムを見ると平均速度が他の気動車に比べて遅かったのが良くわかります。走る時間帯が早朝夕方で機会がありませんでしたが、一度でいいから乗ってみたかったものです。

    Tags:筑肥線 
    # by pakira0422 | 2009-05-23 20:28 | 雑談 | Comments(2)
    思い出の筑肥線3 対向列車の待ち合わせ
    筑肥線電化直前の時刻表(S58.3)を使って、ダイヤグラム化してみました(クリックすると大きく表示されます)。昔は方眼紙と定規を使っていたものですが、今回はOuDiaというフリーソフトを使っています。便利!


    当時の列車交換駅(閉塞扱いのある駅)のみ書き込んでいます。赤は急行、緑は快速(と言っても無人駅通過のみ)、青は客車列車です。いやー、改めて見てみるとひどいですね、今と比べると。離合10分待ちとかざらです。伊万里直通列車なんて乗ると東唐津と山本でえらい目にあいます(´ヮ`;

    でも思い出してみるとそうでした。今でこそ電車は時間に正確に走るものですが、当時、特に盆正月の繁忙期なんてダイヤは終日乱れており、どうなってるのってくらい途中駅で待たされるのはザラでした。上り加布里駅や深江駅で良く待たされていたのは記憶に残っています。当然冷房もない暑い車内で、セミの声を聴きながらぼーっと車窓を眺めたり、席に座れないときはホームに出てぶらぶらして、置いていかれないかドキドキしてみたり、今となっては懐かしいです。まあ未だ前原以降は単線なんで待ち合わせがありますけど(笑。

    列車交換時のダイヤを良く見てみると、ほとんどが「先に来た列車が後に出る」形になっていることが分かります。乗ってる方はイライラしますけど(笑)、タブレットの交換を行っていたことを考えると、なるほどごく自然なわけです。

    それにしても朝のラッシュ時の上りとか東唐津から博多まで2時間近くかかってるんですね・・・ただ博多~姪浜間のダイヤ密度を見るとそれも納得で、駅では客扱いに荷扱い閉塞扱いでてんてこまいだったことが伺えます。高宮駅や前原駅では列車交換時はタブレットを抱えた駅員が自転車でホームを走っていたそうです。やっぱり電化・自動閉塞化は仕方のないことだったのかなあ。

    ただ急行「平戸」だけは博多~東唐津間を1時間で結んでおり、これだけは複線電化された現代の快速とも良い勝負しています。さすが優等列車!松浦線を一周して5時間以上かけて長崎に向かうなんて有り得ませんけど(笑。

    ところで加布里駅と鹿家駅、国鉄の旅客運賃算出表によるとこの頃から無人駅だったようです。でもダイヤを見る限りどう見ても列車交換してますし、そもそも加布里は始発列車があります(´ヮ`; 閉塞扱いのみ行う駅員がいたのでしょうか?謎です。

    (中村様情報:やはり加布里駅には客扱いを行わない駅員が1名いて駐泊所もあったそうです。またSL時代にはここで給水を行っていたそうです)
    Tags:筑肥線 
    # by pakira0422 | 2009-05-23 15:01 | 雑談 | Comments(0)
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